王都から目的の北の要塞町までは、馬車で十日以上かかる距離である。
中世どころか古代ローマを思わせるこの世界の文明では、馬車は揺れまくって乗り心地が悪い。 私もお尻を痛くしながら、それでも明るい妄想に身を委ねていた。書き間違いではない。
妄想である。 妄想は今も昔も、つまり前世の頃から私の得意技なのだ。だいたいにして前世の死因は、間違いなく過労。
それもイベント前にカフェイン(エナジードリンク)と糖分(シュークリーム)を過剰に摂取しながら、同人誌の原稿をやっていたためだと思われる。良い子は絶対に真似をしてはいけないアレだ。 自業自得な死因なので、周囲には申し訳ないとしか言いようがない。 あとは親友のKちゃんが、遺言通りにパソコンとスマホのデータを消してくれるといいのだが。 あんなものが両親や他の人の目に触れたら死んでも死にきれない。 男性同士があれやこれや、あはんうふんしているアレコレが!そう、私はいわゆる腐女子である。
ボーイズラブ、男同士の恋愛を愛してやまない業を背負った生き物なのだ!BLはいいぞ。
少年からおっさんまで、イケメンからモブまで。 男性同士の絆、関係性、そして愛! 私は幅広い雑食だが、特に主従ものが好物だ。 だから皇太子の侍従の彼は、ここ最近の妄想の主成分であった。 彼のおかげで嫌味ったらしい皇太子との付き合いも、しちめんどくさい皇太子妃・聖女教育も耐えられた。 無駄に偉そうな皇太子と、常に控えめでサポートに長ける彼。 皇太子も顔だけはいいので、妄想のしがいがある。 きっと彼らの間では日夜あんなことやこんなことが繰り広げられていて……。ぐふふ。私の鉄面皮とまで言われた無表情は、妄想中のニヤニヤ、もといニマニマを隠すためのものだった。
だって仕方ないじゃない。 皇太子殿下と侍従の主従カプで、「やっぱり従者攻めがいいなー。心からの愛で傲慢な主君を甘く蕩かしちゃうの」と妄想しているのを悟られるわけにはいかないでしょう。帝都追放で一番残念なのは、侍従の彼とお別れになってしまったこと。
ありがとう、侍従さん。 あなたのおかげで私の魂がずいぶん救われました。 あなたがいなければ、さしもの私もくじけてしまったかもしれません。 皇太子は正直もう思い出したくもないけど、主従カプに必要だから旅の間は妄想しますね。というわけで、妄想をしていたら旅は案外すぐに終わってしまった。
到着したのは北の要塞町。
国境の『黒い森』に面していて、絶えず魔物の脅威にさらされている土地である。 要塞には第五軍団ゼナファが常駐して、町と国境を守っていた。私は今日から軍団の雑用係として働く予定でいた。
貴族令嬢の帝都追放からの、雑用人への落ちぶれというわけだ。 でもそれは皇太子と妹の思惑であって、私はむしろこの環境に感謝していた。 前世の記憶と精神があるとはいえ、今の私は十七歳の非力な小娘に過ぎない。 住み込みの仕事はとてもありがたい。 下手に町に放り出されれば、野垂れ死ぬか娼館に買い叩かれるか、とにかくろくなことにならなかったと思う。 光の魔力があると言っても、使い道がいまいちよく分からないし。「こんにちは、今日から雑用係をつとめます、フェリシアです」
メイドたちの部屋に行って挨拶をする。
年かさの人が進み出て、うなずいた。厳格そうな雰囲気の人だった。「よく来たね。あたしはメイド長。上から話は聞いているよ。あんたは貴族令嬢だったらしいが、ここじゃ身分は関係ない。掃除、洗濯、料理、その他の仕事すべて。できないなんて言わせないよ。こき使ってやるから、そのつもりで」「はい、もちろんです」 にっこり笑って返事をすると、メイド長はちょっと鼻白んだ。 前世は一人暮らしで家事をやっていたし、今生の実家じゃあ奴隷や使用人の代わりにやらされていた。今更である。「箱入りのお嬢様だと思っていたのに、肝が座っているんだね……」 彼女は気を取り直すように首を振って、若い女の子を手招きした。「この子はリリア。あんたの先輩として仕事を教えるから」「……リリア、です」 大人しそうな少女だった。 年齢は私より少し年下の、十四歳か十五歳くらいだろうか。「荷物を置いたら、仕事に行ってきなさい」 メイド長に促されて、私たちは部屋を出た。 メイドの仕事はたくさんある。 まずは掃除。 広い軍団施設内を手分けしてきれいにする。 掃除機などないので、ホウキと雑巾が頼りだ。全部手作業だね。 兵士たちのベッドメイクもついでにやる。 次に洗濯。 汗と泥で汚れた兵士たちの衣類が、どっさり洗濯に出される。 もちろん洗濯機はない。 洗うのも干すのも全て手作業で、かなりの手間である。 あとは料理。 専属の料理人は一応いるのだが、数が少ないのでメイドたちが調理補助や配膳をする。 ガスコンロがあるわけもなく、かまどに火を入れるのも一苦労だ。 一つ一つの作業自体はそこまで難しくないものの、とにかく量が多い。 メイドたちは手分けしてせっせと働いて、ようやく回っている状態だった。「フェリシア。頑張っているな」 仕事を始めて十日ほど経ったある日、黒髪の大柄な男性が声をかけてきた。年の頃は二十代前半くらいか。 切れ長の灰色の目をした涼やかな顔立ちの人だった。 彼は副軍団長の地位にいる人。つまりこの町で二番目に偉い人だ。 副軍団長――ベネディクトは真面目な表情で続けた。「貴族令嬢と聞いていたので、すぐに音を上げると思っていたが。メイドの仕事は汚れ仕事も多い。大変だろう」「平気ですよ。リリアもきちんと教えてくれますから」 笑顔で言うと、ベネディクトはわずかに眉を上げた。 隣ではリリアが恥ずかしそうにしている。 実際のとこ
日々メイドの仕事をこなしながら、私は果たさねばならぬ使命について思いを馳せていた。 それはBL創作物の普及である。布教とも言う。 この世界、というかここユピテル帝国では同性愛は必ずしも禁忌ではない。 けれども一部の愛好家のものという位置づけで、あまり一般的とは言えない。 そのためBL萌え、いわゆる腐女子の人もいない。 つまり同好の士と萌語りすることすらできないのだ。 帝都の実家にいる頃から、この国でBLを流行らせたいと思っていた。 けれど環境劣悪のあの家では、小説など書けるはずもない。 見つけられたら馬鹿にされて燃やされるのがオチだ。 大事な創作物を燃やされてたまるかよ。 だから私はずっと長い間妄想を温め続けた。 同時に創作物の販売計画も練った。 BLに馴染みのないこの国で、いきなりオリジナリティにあふれるものを売り出しても手に取ってくれる人は少ないだろう。 では、有名作品の二次創作から始めようじゃないか。 この国にも物語はある。 英雄や神々の英雄叙事詩は人気で、写本が本屋で出回っていたり、劇場で劇が上演されていたりする。 その中でも有名な物語に目をつけた。 それは数多の英雄が集う戦物語。 二国がそれぞれ神々の思惑から戦争を始めて、激しく戦う物語だ。 英雄たちの友情、絆。 戦争であるゆえの命のやり取り。緊迫感。 絶対者である神々に翻弄されて、否応なく運命が決まる理不尽さ。 大事な人を殺された憎しみと悲しみ……。 そういった圧倒的な質量の人間ドラマが織り込まれた名作は、多くのインスピレーションを授けてくれる。 戦場を駆け巡る英雄たちをBL目線で再構築、二次創作するのだ。 戦争物は女性人気が低いと思われがちだが、前世でバトル漫画の女子人気は高かった。 単なる戦いではなく友情や愛に焦点を当てれば、十分すぎるほどの可能性がある。 帝都にいたとき、皇太子妃・聖女教育の名目で教養は叩き込まれた。 この英雄叙事詩のような古典の名作をたくさん読んで、文章作法も学んだ。 なにより前世の同人誌の経験がある。 妄想の時間は十分に取った。 あとは形にするだけだ。 忙しい仕事の合間を縫うようにして、私は物語を書き始めた。 時間は主に寝る前。 燃えさしのロウソクを何本かもらってきて、目立たない倉庫の隅で書き物をする。 紙
「今日はここまでにしておこうっと」 小さなロウソクの明かりで書き物をすると、目が疲れていけない。 私は書きかけの原稿を大事に箱にしまって、倉庫を出た。 要塞の暗い廊下を歩いていると、横合いの部屋からにぎやかな声がする。 覗いてみれば、宵っ張りの兵士たちがお酒を飲みながら騒いでいた。「おっ、フェリシアちゃん! 一緒に飲んでかない?」 酔っ払いの一人が上機嫌な声を上げた。 魔法分隊隊長のクィンタだ。年齢はベネディクトと同じくらい、二十代前半くらいだろう。。 黒髪の副軍団長と対照的に、色の薄い金髪をしている。少し垂れ目気味の目は明るい茶色。 普段であれば愛嬌のあるイケメンなのだが……。 彼はへらへらと笑いながら私の肩を抱いて、強引に部屋に引き入れた。「やっぱ女の子がいると華やかでいいよなー。ほら、飲んで飲んで」「困ります。私、お酒は飲めません。それにもう帰らないと」 明日も早くから仕事がある。 私はまだ新入りなのだ。体調はしっかり整えて、仕事をばっちりこなしたい。 ただでさえ執筆のために睡眠時間を削っている。もう寝たいのである。「ちょっとくらい、いいだろ。……ん、その箱はなんだ?」 大事な原稿を入れた箱に手を伸ばされて、私はとっさに身を固くした。「やめて! 触らないで!」「なんだよ。叫ばなくてもいいじゃん」 クィンタが白けた顔をした。 他の兵士たちが酔った勢いのままこちらにやって来る。「フェリシアちゃんさー、貴族のご令嬢なんだって? なんでこんなとこでメイドしてるの?」「お貴族様にお酌をしてもらったら、酒もうまいだろうなぁ」 うわ、めんどくさ。 前世と違ってセクハラ・パワハラの概念がないこの国では、女性の扱いなんてこんなものだ。 さっさと退散しないと……。「お前たち。何をやっている」 部屋の入口から低い声がした。 見れば副軍団長のベネディクトが、険しい顔で戸口に立っている。 兵士たちはびくっとして黙った。「よう、ベネディクト。お前も飲んでいくか?」 そんな中でニヤニヤと笑っているのは、クィンタだった。 ベネディクトは首を振る。「消灯時間は過ぎているぞ。騒ぐのはほどほどにしておけ。ましてや女性を巻き込むなど」「あー、すまんすまん。フェリシアちゃんが可愛かったから、つい。嫌だったらごめんね?」 クィンタ
要塞町に来てから、少しの時間が経った。 私は相変わらずメイドの仕事をこなしながら、夜は執筆作業に勤しんでいた。 先輩メイドのリリアは優しい子で、きちんと仕事を教えてくれる。メイド長はちょっと言い方がキツいけれど、仕事はきっちりこなすし悪い人じゃない。 食事はちゃんと三食出て、寝床はふかふかのベッド。 実家でいびられていたときよりずっと快適なのである。 そんなわけで張り切って仕事をしていたら、なぜか周囲の評価が上がってしまった。 例えば、トイレ掃除だ。 トイレ掃除はメイドたちが嫌がる仕事ナンバーワン。 お互いに押し付けあっていたので、私が引き受けた。 軍団のトイレは確かに臭くて汚れている。 だが、ここで放置はいけないのだ。 割れ窓理論というのがあって、汚い場所は汚しても構わないという意識が生まれがち。 逆にきちんと手入れしておけば、使う人もおのずと気を使う。 だから私は、一度徹底的にトイレ掃除をした。 素手でやる勇気はちょっとなかったので、革手袋を借りてきた。前世のようなゴムやビニールの手袋がないのが惜しまれる。 トイレ洗剤もないものだから、洗濯用の石けんを投入。 ブラシと雑巾で数日かけてピカピカにした。「すごい、きれいになっている」 軍団兵とメイドたちが目を丸くしている。「せっかくきれいにしたんですから、今後は汚さないように使ってくださいね」 笑顔とともに言えば、みんながうなずいてくれた。 ついでに『トイレはきれいに使いましょう』と張り紙もしてもらった。 結果、トイレはあまり汚れなくなり、掃除も楽になった。「すげえなぁ。あの小汚いトイレが光り輝くようだぜ」 クィンタが感心している。「さすがに褒めすぎですよ」「いや、そんなことはない。フェリシアちゃんが掃除しているのを何度か見たが、一生懸命で。感心したよ」「トイレには神様が宿ると言いますからね。きっと神様が手助けしてくれたんです」「トイレの神様? ははっ、そりゃあいい」 そう答えると、クィンタはさも可笑しそうに笑っていた。 他には料理があった。 ゼナファ軍団での食事は簡素で、食材もメニューもあまりバリエーションがない。 ちょっと栄養が偏るのではないかと思った。 ある日、調理補助の仕事をしていると、料理長が話しかけてきた。「メイドのみなさん。新しい料
私は身振り手振りを交えながら説明を続けた。「豆を潰してこねて、少しの肉を混ぜて。肉は年老いて卵を産まなくなったニワトリでいいと思います。廃鶏――年取ったニワトリの肉は固くて風味が悪いけど、豆と混ぜればまぎれます」 前世の冷凍唐揚げ(安いやつ)はそんな感じで作られていた。 この町でも大豆や他の種類の豆は売られている。値段もお手頃だ。 ニワトリも年を取ると使い道がなくなるので、安く買える。「さっそく作ってみましょう!」 料理人とリリアと一緒に試作が始まった。 豆と肉の配合割合を考えて、ちょうどいいものを作る。何度か試行錯誤して、いい感じの割合を決めた。 鶏肉は小さく切る。年を取ったニワトリは筋張っていて固いので、包丁で叩いて柔らかくする。 こういった小さい手間が美味しい料理のもととなるのだ。 豆は煮て潰す。 そしてそれらを混ぜ合わせ、一口大のサイズで丸めた。 下味のソース作りも忘れない。 ユピテル帝国には伝統的な魚醤《ガルム》がある。魚を塩水に漬け込んで発酵させる調味料だ。ちょっと変わった風味だが、ワイン酢やにんにくなどと合わせるとなかなか良い味になった。 これに肉を漬け込む。濃いめの味付けなので廃鶏のぱっとしない風味がまぎれるし、力仕事の軍団兵たちも気に入るはずだ。 それから小麦粉で衣をつけて揚げる。片栗粉も欲しかったけど、見当たらなかったので諦めた。まあなんとかなるだろう。 ジュウジュウと音を立てる唐揚げは、いかにも美味しそうだ。「ん、美味しい! あつあつでジューシーで!」 一口試食したリリアがにっこりと笑顔になった。「これが廃鶏と豆とは。びっくりです」 料理長も感心している。 ユピテル帝国はオリーブオイルが名産である。 揚げ物に使うたくさんの油も、どうにか予算内で確保ができた。廃油がもったいないので、リサイクル方法もそのうち考えてみよう。「いい匂いがするが、それは何だ?」 お披露目の夕食時、大皿に盛られた唐揚げを見
最近、軍団兵の皆さんから声をかけられることが妙に増えて困っている。「フェリシアちゃん、今日も可愛いね!」 みたいな変なお世辞とか。「フェリシアちゃん、今日も頑張ってるねえ。これあげよう」 と、お菓子をくれたりとか。 これはちょっと嬉しいので、リリアや他のメイドたちと一緒に食べている。「フェリシアちゃん、次の休日はあいてる? 俺と町まで出かけない?」 とか。 残念ながら私はメイドの仕事とBL小説の執筆で超多忙なのだ。 寝る間も惜しむくらい働いているのに、遊びに付き合う暇などあるはずもない。ほんと、なんなんだ。 困っているとメイド長に報告したら、思い切りため息をつかれてしまった。「あんた、無自覚なのねえ。さすがは貴族のお嬢様だわ」「なんですか、それ」 メイド長はちょっぴり口が悪いが、いい人なのはもう分かっている。 私は気兼ねなく言い返した。「あのねえ……まあいいわ。軍団長に軽く言っておくから、いずれ収まるでしょう。でも、本当にいい人がいたら遠慮しなくていいんだよ」「なんだかよく分かりませんが、助かります」 私は安心したが、翌日、予想外に軍団長に呼び出されてしまった。 一体何の用事だろう。 緊張しながら軍団長の執務室に行くと、ベネディクトもいた。「お話とはなんでしょうか」「あぁ、そう固くならなくていい。楽にしてくれ」 軍団長が鷹揚に答えた。 四十歳前後に見える人で、茶色い髪に緑の目がチャーミングである。 軍団のトップという立場のせいか年齢のためか、包容力を感じさせる人柄だった。 生真面目なベネディクトが横に立っていると、なかなか絵になる。 主従……いや、上司と部下のカプも悪くないな。 現パロなら部長と部下とか。 いやいや、あえてパロにする必要もあるまい。責任ある軍団長とそれを支える副軍団長。信頼関係がいつしか愛情に変わり……!?「あー、フェリシア嬢?」 軍団長の不審そうな声で我に返る。 やば、顔に出ていたか。 慌てて表情を取り繕った。頑張れ私の表情筋。「すみません、何でもありません。続きをどうぞ」「ああ。この前の唐揚げと、野菜を取り入れたメニューだが。兵士たちに好評でね。唐揚げは食べると力が出ると評判だ。野菜は食事としてはそれほど高評価ではないが、体調が改善されたとの報告がいく
軍団長が微笑んだまま続けた。「フェリシア嬢、正直私はきみという人を見誤っていたよ。帝都を追放された貴族令嬢で、しかも皇家をたばかったというじゃないか。どんな悪女が来るのかと戦々恐々としていたのだが」「まあ……」 そんなふうに思われてたんだ。 まあ表面だけを見ればそのとおりなので、返す言葉もございませんってとこだが。「ベネディクトにそれとなく見張らせていたんだが、きみの実際の行いは予想と真逆でね」 見張りときた。どうりでちょくちょくベネディクトと鉢合わせたわけだ。 彼のほうを見ると、そっと目を伏せてられてしまった。「これからもどうかゼナファ軍団の力になってくれ。困り事があればいつでも相談に乗ろう」「もちろんです。こちらこそ、よろしくお願いいたします」 深く頭を下げて、軍団長との面談は終わった。 軍団長の部屋を出ると、ベネディクトがついてきた。「フェリシア。私からも少しいいか?」「はい、なんでしょう」 正直さっさと戻りたかったが、副軍団長を無下に扱うわけにもいかない。「きみはかつて『聖女』の称号を得ていたと聞いた。本当だろうか?」「本当ですよ。十歳の魔力鑑定で属性が『光』と出たので」「……!」 魔力鑑定は自由市民であればほぼ全員が受ける儀式だ。 大抵は木・火・土・金・水の五属性のいずれかになるが、稀に私のようなイレギュラーが現れる。 光はその中でも特別で、邪気と瘴気を払う聖女の役割を負うと言い伝えられてきた。その希少さから皇家に嫁ぎ、帝国のために働くのだと。「言い伝えの聖女の力は真実なのか?」 ベネディクトの口調は真剣だった。 この北の要塞町は魔物との戦いに明け暮れる前線の場所。 もしも聖女が本当に瘴気を払えるのであれば、魔物との戦いを有利に進められる。彼らにとって切実に欲しい力だろう。 けれど
【ベネディクト視線】 去っていくフェリシアの姿を眺めながら、ベネディクトは先程のやりとりを思い出していた。 この要塞町では常に魔物との戦いが繰り広げられていて、息をつく暇もない。負傷者はしばしば出て、死亡するものも少なくはない。 ここしばらくは――そう、フェリシアがやって来た頃からだ――小康状態が続いているが、いつまた激戦が始まるか分からないのだ。 だから『聖女』の伝説に希望を持ってしまった。 先代の聖女はもう百年以上前の人物で、その功績はどこまでが事実でどこからが伝説なのかも判然としない。 だが彼女は魔物との戦いに大きな存在を示し、多数の人々を守ったとされている。 先代だけではない。 聖女と呼ばれる人物は今まで何人もいて、それぞれに功績が語られている。 特に最初の『建国の聖女』は神話めいた伝説上の人物だ。彼女は国を建てる際に大きな貢献をしたとされるが……。 フェリシアの身の上は軍団長からおおよそ聞いていた。 有力貴族家の出身で、元は皇太子の婚約者。それが聖女を騙った罪で王都を追放され、この要塞町で雑用係に落とされた。 ベネディクトは軍団長同様、フェリシアはわがままな悪女なのだろうと思っていた。皇太子を騙して聖女の地位にあぐらをかいていた、贅沢好きな性悪女なのだろうと。だから警戒していた。 ところが見張っていると、彼女は健気な頑張り屋にしか見えない。 箱入り令嬢とは思えないほど積極的にメイドの仕事をこなす。誰もが嫌がるトイレ掃除を引き受けてピカピカに磨き上げ、その後の使い方まで指導した。 斬新なアイディアで食事を改善して、兵士たちの士気と体調が大いに改善された。それも予算内で食材を収めたというのだから、感心する以外にない。 また彼はフェリシアが夜中に書き物をしているのも知っている。 内容をあらためるべきか迷ったが、執筆中の彼女がとても真剣で、ときどきうっとりと幸せそうな表情をするものだから、つい声をかけそびれてしまった。 ベネディクトは、フェリシアという女性が分からなくなってしまった。
男ばかりのBLパラダイスな要塞町であるが、やはり推しカプはいる。 まず第一にベネディクト×クィンタの幼馴染カプ。 彼らはあらゆる面が対照的なのがいい。 性格はベネディクトがクソ真面目、クィンタがチャラ男。戦闘スタイルはそれぞれ剣と魔法。出自もベネディクトは貴族に対し、クィンタは平民と聞いた。 彼らはずっと昔から仲がいいのに、お互いに腐れ縁だと言っている。そこもよい。 腐れ縁だの悪口を言いながら、背中を預けるだけの信頼がにじみ出ている。よきよき。 で、第二に軍団長×ベネディクトだ。ベネディクト氏大活躍である。 包容力のある大人な軍団長と堅苦しくて融通の効かないベネディクトの組み合わせ。もはや鉄板と言っても過言ではないだろう。 今日もクィンタとベネディクトが親しげに肩を組んでいたのを見て、私、内心で大歓喜である。 まあクィンタが一方的に腕を肩に回していて、ベネディクトはちょっと迷惑そうだったが。 むしろカプ解釈に沿っていてよろしい。 脳内に焼き付けた肩組み映像を反芻しながら掃除をしていると、急に声を掛けられた。「フェリシアさん? またニマニマして、どうしたんですか?」「うひょおぅ!?」 目を上げるとリリアがいた。 彼女とはすっかり打ち解けたので、つい油断して奇声まで上げてしまった。 他の人相手ならまだこうはならない。かつての帝都の鉄面皮令嬢の名にかけて、顔面崩壊だけは避けたい所存だ。 リリアは私の奇声に首を傾げた。「うひょう……。フェリシアさんは、普段は儚げなお嬢様なのに。ときどき変ですよね」「ごめん、聞かなかったことにして」「はあ」 リリアは呆れたようにちょっと笑った。 なんだろう、元気がない感じがする。「どうしたの? 何かあった?」「いえ……。また仕事で失敗してしまって」 リリアは肩を落としている。 彼女は私に仕事を教えてくれた先輩だけれど、確かにちょっとドジなところがある。
【ベネディクト視線】 去っていくフェリシアの姿を眺めながら、ベネディクトは先程のやりとりを思い出していた。 この要塞町では常に魔物との戦いが繰り広げられていて、息をつく暇もない。負傷者はしばしば出て、死亡するものも少なくはない。 ここしばらくは――そう、フェリシアがやって来た頃からだ――小康状態が続いているが、いつまた激戦が始まるか分からないのだ。 だから『聖女』の伝説に希望を持ってしまった。 先代の聖女はもう百年以上前の人物で、その功績はどこまでが事実でどこからが伝説なのかも判然としない。 だが彼女は魔物との戦いに大きな存在を示し、多数の人々を守ったとされている。 先代だけではない。 聖女と呼ばれる人物は今まで何人もいて、それぞれに功績が語られている。 特に最初の『建国の聖女』は神話めいた伝説上の人物だ。彼女は国を建てる際に大きな貢献をしたとされるが……。 フェリシアの身の上は軍団長からおおよそ聞いていた。 有力貴族家の出身で、元は皇太子の婚約者。それが聖女を騙った罪で王都を追放され、この要塞町で雑用係に落とされた。 ベネディクトは軍団長同様、フェリシアはわがままな悪女なのだろうと思っていた。皇太子を騙して聖女の地位にあぐらをかいていた、贅沢好きな性悪女なのだろうと。だから警戒していた。 ところが見張っていると、彼女は健気な頑張り屋にしか見えない。 箱入り令嬢とは思えないほど積極的にメイドの仕事をこなす。誰もが嫌がるトイレ掃除を引き受けてピカピカに磨き上げ、その後の使い方まで指導した。 斬新なアイディアで食事を改善して、兵士たちの士気と体調が大いに改善された。それも予算内で食材を収めたというのだから、感心する以外にない。 また彼はフェリシアが夜中に書き物をしているのも知っている。 内容をあらためるべきか迷ったが、執筆中の彼女がとても真剣で、ときどきうっとりと幸せそうな表情をするものだから、つい声をかけそびれてしまった。 ベネディクトは、フェリシアという女性が分からなくなってしまった。
軍団長が微笑んだまま続けた。「フェリシア嬢、正直私はきみという人を見誤っていたよ。帝都を追放された貴族令嬢で、しかも皇家をたばかったというじゃないか。どんな悪女が来るのかと戦々恐々としていたのだが」「まあ……」 そんなふうに思われてたんだ。 まあ表面だけを見ればそのとおりなので、返す言葉もございませんってとこだが。「ベネディクトにそれとなく見張らせていたんだが、きみの実際の行いは予想と真逆でね」 見張りときた。どうりでちょくちょくベネディクトと鉢合わせたわけだ。 彼のほうを見ると、そっと目を伏せてられてしまった。「これからもどうかゼナファ軍団の力になってくれ。困り事があればいつでも相談に乗ろう」「もちろんです。こちらこそ、よろしくお願いいたします」 深く頭を下げて、軍団長との面談は終わった。 軍団長の部屋を出ると、ベネディクトがついてきた。「フェリシア。私からも少しいいか?」「はい、なんでしょう」 正直さっさと戻りたかったが、副軍団長を無下に扱うわけにもいかない。「きみはかつて『聖女』の称号を得ていたと聞いた。本当だろうか?」「本当ですよ。十歳の魔力鑑定で属性が『光』と出たので」「……!」 魔力鑑定は自由市民であればほぼ全員が受ける儀式だ。 大抵は木・火・土・金・水の五属性のいずれかになるが、稀に私のようなイレギュラーが現れる。 光はその中でも特別で、邪気と瘴気を払う聖女の役割を負うと言い伝えられてきた。その希少さから皇家に嫁ぎ、帝国のために働くのだと。「言い伝えの聖女の力は真実なのか?」 ベネディクトの口調は真剣だった。 この北の要塞町は魔物との戦いに明け暮れる前線の場所。 もしも聖女が本当に瘴気を払えるのであれば、魔物との戦いを有利に進められる。彼らにとって切実に欲しい力だろう。 けれど
最近、軍団兵の皆さんから声をかけられることが妙に増えて困っている。「フェリシアちゃん、今日も可愛いね!」 みたいな変なお世辞とか。「フェリシアちゃん、今日も頑張ってるねえ。これあげよう」 と、お菓子をくれたりとか。 これはちょっと嬉しいので、リリアや他のメイドたちと一緒に食べている。「フェリシアちゃん、次の休日はあいてる? 俺と町まで出かけない?」 とか。 残念ながら私はメイドの仕事とBL小説の執筆で超多忙なのだ。 寝る間も惜しむくらい働いているのに、遊びに付き合う暇などあるはずもない。ほんと、なんなんだ。 困っているとメイド長に報告したら、思い切りため息をつかれてしまった。「あんた、無自覚なのねえ。さすがは貴族のお嬢様だわ」「なんですか、それ」 メイド長はちょっぴり口が悪いが、いい人なのはもう分かっている。 私は気兼ねなく言い返した。「あのねえ……まあいいわ。軍団長に軽く言っておくから、いずれ収まるでしょう。でも、本当にいい人がいたら遠慮しなくていいんだよ」「なんだかよく分かりませんが、助かります」 私は安心したが、翌日、予想外に軍団長に呼び出されてしまった。 一体何の用事だろう。 緊張しながら軍団長の執務室に行くと、ベネディクトもいた。「お話とはなんでしょうか」「あぁ、そう固くならなくていい。楽にしてくれ」 軍団長が鷹揚に答えた。 四十歳前後に見える人で、茶色い髪に緑の目がチャーミングである。 軍団のトップという立場のせいか年齢のためか、包容力を感じさせる人柄だった。 生真面目なベネディクトが横に立っていると、なかなか絵になる。 主従……いや、上司と部下のカプも悪くないな。 現パロなら部長と部下とか。 いやいや、あえてパロにする必要もあるまい。責任ある軍団長とそれを支える副軍団長。信頼関係がいつしか愛情に変わり……!?「あー、フェリシア嬢?」 軍団長の不審そうな声で我に返る。 やば、顔に出ていたか。 慌てて表情を取り繕った。頑張れ私の表情筋。「すみません、何でもありません。続きをどうぞ」「ああ。この前の唐揚げと、野菜を取り入れたメニューだが。兵士たちに好評でね。唐揚げは食べると力が出ると評判だ。野菜は食事としてはそれほど高評価ではないが、体調が改善されたとの報告がいく
私は身振り手振りを交えながら説明を続けた。「豆を潰してこねて、少しの肉を混ぜて。肉は年老いて卵を産まなくなったニワトリでいいと思います。廃鶏――年取ったニワトリの肉は固くて風味が悪いけど、豆と混ぜればまぎれます」 前世の冷凍唐揚げ(安いやつ)はそんな感じで作られていた。 この町でも大豆や他の種類の豆は売られている。値段もお手頃だ。 ニワトリも年を取ると使い道がなくなるので、安く買える。「さっそく作ってみましょう!」 料理人とリリアと一緒に試作が始まった。 豆と肉の配合割合を考えて、ちょうどいいものを作る。何度か試行錯誤して、いい感じの割合を決めた。 鶏肉は小さく切る。年を取ったニワトリは筋張っていて固いので、包丁で叩いて柔らかくする。 こういった小さい手間が美味しい料理のもととなるのだ。 豆は煮て潰す。 そしてそれらを混ぜ合わせ、一口大のサイズで丸めた。 下味のソース作りも忘れない。 ユピテル帝国には伝統的な魚醤《ガルム》がある。魚を塩水に漬け込んで発酵させる調味料だ。ちょっと変わった風味だが、ワイン酢やにんにくなどと合わせるとなかなか良い味になった。 これに肉を漬け込む。濃いめの味付けなので廃鶏のぱっとしない風味がまぎれるし、力仕事の軍団兵たちも気に入るはずだ。 それから小麦粉で衣をつけて揚げる。片栗粉も欲しかったけど、見当たらなかったので諦めた。まあなんとかなるだろう。 ジュウジュウと音を立てる唐揚げは、いかにも美味しそうだ。「ん、美味しい! あつあつでジューシーで!」 一口試食したリリアがにっこりと笑顔になった。「これが廃鶏と豆とは。びっくりです」 料理長も感心している。 ユピテル帝国はオリーブオイルが名産である。 揚げ物に使うたくさんの油も、どうにか予算内で確保ができた。廃油がもったいないので、リサイクル方法もそのうち考えてみよう。「いい匂いがするが、それは何だ?」 お披露目の夕食時、大皿に盛られた唐揚げを見
要塞町に来てから、少しの時間が経った。 私は相変わらずメイドの仕事をこなしながら、夜は執筆作業に勤しんでいた。 先輩メイドのリリアは優しい子で、きちんと仕事を教えてくれる。メイド長はちょっと言い方がキツいけれど、仕事はきっちりこなすし悪い人じゃない。 食事はちゃんと三食出て、寝床はふかふかのベッド。 実家でいびられていたときよりずっと快適なのである。 そんなわけで張り切って仕事をしていたら、なぜか周囲の評価が上がってしまった。 例えば、トイレ掃除だ。 トイレ掃除はメイドたちが嫌がる仕事ナンバーワン。 お互いに押し付けあっていたので、私が引き受けた。 軍団のトイレは確かに臭くて汚れている。 だが、ここで放置はいけないのだ。 割れ窓理論というのがあって、汚い場所は汚しても構わないという意識が生まれがち。 逆にきちんと手入れしておけば、使う人もおのずと気を使う。 だから私は、一度徹底的にトイレ掃除をした。 素手でやる勇気はちょっとなかったので、革手袋を借りてきた。前世のようなゴムやビニールの手袋がないのが惜しまれる。 トイレ洗剤もないものだから、洗濯用の石けんを投入。 ブラシと雑巾で数日かけてピカピカにした。「すごい、きれいになっている」 軍団兵とメイドたちが目を丸くしている。「せっかくきれいにしたんですから、今後は汚さないように使ってくださいね」 笑顔とともに言えば、みんながうなずいてくれた。 ついでに『トイレはきれいに使いましょう』と張り紙もしてもらった。 結果、トイレはあまり汚れなくなり、掃除も楽になった。「すげえなぁ。あの小汚いトイレが光り輝くようだぜ」 クィンタが感心している。「さすがに褒めすぎですよ」「いや、そんなことはない。フェリシアちゃんが掃除しているのを何度か見たが、一生懸命で。感心したよ」「トイレには神様が宿ると言いますからね。きっと神様が手助けしてくれたんです」「トイレの神様? ははっ、そりゃあいい」 そう答えると、クィンタはさも可笑しそうに笑っていた。 他には料理があった。 ゼナファ軍団での食事は簡素で、食材もメニューもあまりバリエーションがない。 ちょっと栄養が偏るのではないかと思った。 ある日、調理補助の仕事をしていると、料理長が話しかけてきた。「メイドのみなさん。新しい料
「今日はここまでにしておこうっと」 小さなロウソクの明かりで書き物をすると、目が疲れていけない。 私は書きかけの原稿を大事に箱にしまって、倉庫を出た。 要塞の暗い廊下を歩いていると、横合いの部屋からにぎやかな声がする。 覗いてみれば、宵っ張りの兵士たちがお酒を飲みながら騒いでいた。「おっ、フェリシアちゃん! 一緒に飲んでかない?」 酔っ払いの一人が上機嫌な声を上げた。 魔法分隊隊長のクィンタだ。年齢はベネディクトと同じくらい、二十代前半くらいだろう。。 黒髪の副軍団長と対照的に、色の薄い金髪をしている。少し垂れ目気味の目は明るい茶色。 普段であれば愛嬌のあるイケメンなのだが……。 彼はへらへらと笑いながら私の肩を抱いて、強引に部屋に引き入れた。「やっぱ女の子がいると華やかでいいよなー。ほら、飲んで飲んで」「困ります。私、お酒は飲めません。それにもう帰らないと」 明日も早くから仕事がある。 私はまだ新入りなのだ。体調はしっかり整えて、仕事をばっちりこなしたい。 ただでさえ執筆のために睡眠時間を削っている。もう寝たいのである。「ちょっとくらい、いいだろ。……ん、その箱はなんだ?」 大事な原稿を入れた箱に手を伸ばされて、私はとっさに身を固くした。「やめて! 触らないで!」「なんだよ。叫ばなくてもいいじゃん」 クィンタが白けた顔をした。 他の兵士たちが酔った勢いのままこちらにやって来る。「フェリシアちゃんさー、貴族のご令嬢なんだって? なんでこんなとこでメイドしてるの?」「お貴族様にお酌をしてもらったら、酒もうまいだろうなぁ」 うわ、めんどくさ。 前世と違ってセクハラ・パワハラの概念がないこの国では、女性の扱いなんてこんなものだ。 さっさと退散しないと……。「お前たち。何をやっている」 部屋の入口から低い声がした。 見れば副軍団長のベネディクトが、険しい顔で戸口に立っている。 兵士たちはびくっとして黙った。「よう、ベネディクト。お前も飲んでいくか?」 そんな中でニヤニヤと笑っているのは、クィンタだった。 ベネディクトは首を振る。「消灯時間は過ぎているぞ。騒ぐのはほどほどにしておけ。ましてや女性を巻き込むなど」「あー、すまんすまん。フェリシアちゃんが可愛かったから、つい。嫌だったらごめんね?」 クィンタ
日々メイドの仕事をこなしながら、私は果たさねばならぬ使命について思いを馳せていた。 それはBL創作物の普及である。布教とも言う。 この世界、というかここユピテル帝国では同性愛は必ずしも禁忌ではない。 けれども一部の愛好家のものという位置づけで、あまり一般的とは言えない。 そのためBL萌え、いわゆる腐女子の人もいない。 つまり同好の士と萌語りすることすらできないのだ。 帝都の実家にいる頃から、この国でBLを流行らせたいと思っていた。 けれど環境劣悪のあの家では、小説など書けるはずもない。 見つけられたら馬鹿にされて燃やされるのがオチだ。 大事な創作物を燃やされてたまるかよ。 だから私はずっと長い間妄想を温め続けた。 同時に創作物の販売計画も練った。 BLに馴染みのないこの国で、いきなりオリジナリティにあふれるものを売り出しても手に取ってくれる人は少ないだろう。 では、有名作品の二次創作から始めようじゃないか。 この国にも物語はある。 英雄や神々の英雄叙事詩は人気で、写本が本屋で出回っていたり、劇場で劇が上演されていたりする。 その中でも有名な物語に目をつけた。 それは数多の英雄が集う戦物語。 二国がそれぞれ神々の思惑から戦争を始めて、激しく戦う物語だ。 英雄たちの友情、絆。 戦争であるゆえの命のやり取り。緊迫感。 絶対者である神々に翻弄されて、否応なく運命が決まる理不尽さ。 大事な人を殺された憎しみと悲しみ……。 そういった圧倒的な質量の人間ドラマが織り込まれた名作は、多くのインスピレーションを授けてくれる。 戦場を駆け巡る英雄たちをBL目線で再構築、二次創作するのだ。 戦争物は女性人気が低いと思われがちだが、前世でバトル漫画の女子人気は高かった。 単なる戦いではなく友情や愛に焦点を当てれば、十分すぎるほどの可能性がある。 帝都にいたとき、皇太子妃・聖女教育の名目で教養は叩き込まれた。 この英雄叙事詩のような古典の名作をたくさん読んで、文章作法も学んだ。 なにより前世の同人誌の経験がある。 妄想の時間は十分に取った。 あとは形にするだけだ。 忙しい仕事の合間を縫うようにして、私は物語を書き始めた。 時間は主に寝る前。 燃えさしのロウソクを何本かもらってきて、目立たない倉庫の隅で書き物をする。 紙
「よく来たね。あたしはメイド長。上から話は聞いているよ。あんたは貴族令嬢だったらしいが、ここじゃ身分は関係ない。掃除、洗濯、料理、その他の仕事すべて。できないなんて言わせないよ。こき使ってやるから、そのつもりで」「はい、もちろんです」 にっこり笑って返事をすると、メイド長はちょっと鼻白んだ。 前世は一人暮らしで家事をやっていたし、今生の実家じゃあ奴隷や使用人の代わりにやらされていた。今更である。「箱入りのお嬢様だと思っていたのに、肝が座っているんだね……」 彼女は気を取り直すように首を振って、若い女の子を手招きした。「この子はリリア。あんたの先輩として仕事を教えるから」「……リリア、です」 大人しそうな少女だった。 年齢は私より少し年下の、十四歳か十五歳くらいだろうか。「荷物を置いたら、仕事に行ってきなさい」 メイド長に促されて、私たちは部屋を出た。 メイドの仕事はたくさんある。 まずは掃除。 広い軍団施設内を手分けしてきれいにする。 掃除機などないので、ホウキと雑巾が頼りだ。全部手作業だね。 兵士たちのベッドメイクもついでにやる。 次に洗濯。 汗と泥で汚れた兵士たちの衣類が、どっさり洗濯に出される。 もちろん洗濯機はない。 洗うのも干すのも全て手作業で、かなりの手間である。 あとは料理。 専属の料理人は一応いるのだが、数が少ないのでメイドたちが調理補助や配膳をする。 ガスコンロがあるわけもなく、かまどに火を入れるのも一苦労だ。 一つ一つの作業自体はそこまで難しくないものの、とにかく量が多い。 メイドたちは手分けしてせっせと働いて、ようやく回っている状態だった。「フェリシア。頑張っているな」 仕事を始めて十日ほど経ったある日、黒髪の大柄な男性が声をかけてきた。年の頃は二十代前半くらいか。 切れ長の灰色の目をした涼やかな顔立ちの人だった。 彼は副軍団長の地位にいる人。つまりこの町で二番目に偉い人だ。 副軍団長――ベネディクトは真面目な表情で続けた。「貴族令嬢と聞いていたので、すぐに音を上げると思っていたが。メイドの仕事は汚れ仕事も多い。大変だろう」「平気ですよ。リリアもきちんと教えてくれますから」 笑顔で言うと、ベネディクトはわずかに眉を上げた。 隣ではリリアが恥ずかしそうにしている。 実際のとこ